実際に私が捨てた目に見えない「いらないモノ」
以前、捨てよう。そこから全てが始まる。 - 三ツ星★★★人生という記事の参考として、今回は、「実際に私が何を捨てたか」について書きます。
私の場合は「会社で出世する道」を捨てました。
具体的には、就業形態を変更しました。
正社員であることは変わりませんが、裁量労働から非裁量労働にしたのです。
従業員目線で一番お得な(時間単価が高い)のは、「裁量労働」で仕事を効率的にこなして早く帰ること、です。早く帰れば帰るほど、時間単価は高くなります。今までの私は「裁量労働」でほぼ定時で帰っていたので、これに近かったと言えるでしょう。
では、なぜわざわざ非裁量労働に変更したのか?理由は一つ。
私は、会社で出世したくないから。
周囲の人間からのうるさい嫉妬の目線を断ち切る
同僚のほとんどは「会社で出世すること」が第一目標なので、当然評価されるために残業をします。つまり、会社にとってみなし残業分よりも多く残業する「お買い得」な人材であるとアピールしているんです。
イコール、会社にとっては「評価すべき人材」になります。
しかしこれは、裏を返せば自分の付加価値(時間単価)を下げる行為に他なりません。 私はこんな量販店の低価格競争みたいなものに巻き込まれたくないと思いました。
裁量労働でありながら、毎日定時で帰る私を恨みがましい目で見る同僚も少なからずいました。上司も同じです。
「自分はこんなに残業しているのに、あいつは定時に帰って同じ給料かよ」とまあこんな感じでしょう。
「他人のフォロー」ほど不気味で曖昧な言葉はない
また、上司には「リーダー以上になりたかったら、非裁量労働では難しいよね」とも言われました。これは聞く人によっては決定的な脅し文句でしょう。
上司(執行役員)の言葉をそのまま借りると、「裁量労働の人は、自分の仕事をこなすだけでなく、他人のフォローもするべき」とのことです。
自分の仕事、他人の仕事。
私にはその明確な境目がわかりません。自分の仕事が他人の仕事の一部であるように、他人の仕事も私の仕事の一部だと考えていたからです。なので、他人のフォローというのは自分の仕事をキッチリこなすことだと思っていました。
例えば、
リーダーが顧客対応やスケジュール管理に加えて、個々のメンバーが担当しているプログラムのソースコードまで見るプロジェクトと、
リーダーは顧客対応やスケジュール管理に専念し、個々のメンバーも自分の担当機能を責任もってプログラミングするプロジェクトと、
どちらが上手く行くでしょうか?
リーダーにはリーダーの役割があるのと同じく、
メンバーにはメンバーの役割があります。
それを「フォロー」と言って役割の垣根を超えて仕事を浸食しあうというのは、
私から見れば「単に役割分担が不明確なだけ」です。
「リーダーが見てくれる」という安心感があるメンバーと、
「自分のコードがそのまま世に出てしまう」という緊張感があるメンバーと、
どちらが良いコードを書くでしょうか?
人材育成上も、日本企業が使う「フォロー」という曖昧な言葉は悪影響をもたらしている気がしてなりません。
優秀な人材ほど時間単価が安くなる日本企業の限界
入社する時は、
「裁量労働は、一日一分でも、成果を出せばそれで良い。優秀な人材ほど、時間単価が高くなるシステムだ」と言われました。
今の同僚や上司の意見をまとめると、
「優秀な人材ほど周囲の人をフォローする(またその能力がある)ので、
結果的に優秀な人材ほど忙しくなり、残業時間も増えるはずだ」と。
こうなると、優秀な人材ほど時間単価は安くなってしまいますね。
まぁ、いくら形や制度だけ格好よく外資系企業の真似をしてみても、
実態はこんなものです。
裁量労働の建前上の定義を立派に飾り立てて、評価制度を定量化しても、
結局は「あいつばっかりずるい」という日本独特の湿った感情が勝つのです。
会社が「フォローする人間こそリーダーに相応しい」というなら、一従業員である私には何も言う権利はありません。また、私はリーダーになりたいわけでも、他人の仕事を奪いたいわけでも、会社で出世したいわけでもありません。
このブログでは何度も書いているように、
私は独立して自力で、会社がなくなっても生きていける人間になりたいのです。
こんな想いから、私は来月(2015/4/1)から非裁量労働に変更することになりました。読者の皆様の参考になれば幸いです。